多くの日本人にとって、英語を身に付けるということは難しいと感じているでしょう。

その一方で、十分にコミュニケーションがとれる、または英文をすらすらと読みこなせるくらいの英語力を持っている人たちも少なくありません。

 

中学校と高校で 6年間英語を必修科目として学んできていますし、大学に入ればさらに何年か学ぶ機会があります。

そういう環境があってもそれだけで英語を操れるようになるわけではありません。

個人的にもっともっと学習する必要があるでしょう。

 

明治時代には、現代のエリートたちでも及ばないほどの英語力を持った達人たちが生きていました。

彼らはどのようにして英語を身に付けただけでなく、達人となることができたのでしょうか。

その1では、そのうちの二人をまずご紹介します。

 

新渡戸稲造(にとべいなぞう)

以前の五千円札の肖像にもなっていた新渡戸稲造は、国際連盟事務次長にもなった農学・法学の専門家です。

彼は札幌農学校(現在の北海道大学)で英語を学んでいました。

札幌農学校と言えば「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク先生が建てた学校です。

昼間の講義でとった英語のノートを夜に清書して先生に提出するという宿題があったそうです。

しかし何といっても彼は読む本の量が非常に多かったのが大きいでしょう。

農学校の図書館の本はほとんど英語だったと思われますが、その図書館の本をすべて読んだと言われています。

つまり毎日毎日英語の本を読んでいたということです。

 

斎藤秀三郎

明治~大正時代を代表する英語学者ですが、一度も海外に出たことはないという面白い経歴を持つ人です。

それでも彼はきちっと英語を理解していて、ネイティブスピーカーの間違った英語を指摘することができるほどでした。

また英語学校を設立した時には英語教師である外国人を面接するときに、自分でその英語力を試験したと伝えられています。

これほどまでの英語力を身につけたポイントは、たくさん英語を読んだことです。

彼の大学時代、大学の図書館にあった英語の本はすべて読み尽くすだけでなく、ブリタニカ百科事典(当然ながらすべて英語)の全35巻を 2回読み通す(参照するのではなく)ほどでした。

 

お気付きのように、彼らに共通しているのは出来るだけ多くの英文を読んだということです。

やはりお手本となる正しい英語にとにかく沢山触れることが大切なんですね。

 

日本人は英語が大好きな国民なんだと思います。

心の奥底では英語は苦手だと思いながらも、英語にあこがれて英語にカッコよさを感じています。

 

コンピューターやインターネットが生活の中で欠かせないものとなっていますが、これらはみなコンピュータープログラムによって作られています。

基本的にプログラムというものは英語をベースにして記述されています。

逆に言えば英語ですべて表現できるようにコンピューターの世界は作り上げられてきたといえるかもしれません。

 

一大ブーム到来

明治時代初期の日本人の英語ブームは現在の比ではありませんでした。

幕末の時代に黒船来航などで日本人は英語の重要性をはっきりと認識するようになりました。

そして明治になると日本は西洋化にまい進していきます。

最初に吸収したのはアメリカ文化、そして同じ英語のイギリス文化でした。

 

英語 英語 英語

この時代はとにかく何でも英語でした。

日本最初の英語ブームで、猫も杓子も 英語 英語 英語 でした。

英語まじりの都々逸がつくられたり、西洋式の学校制度が導入されたときには小学校で英語の授業を導入する動きもあったりしたほどです。

外国からの技術をどんどん導入するために、英語を話す外国人が次々と日本にやってくる時代でもありました。

この時代は様々な英語が流れのように国内に入ってきてはカタカナ語として定着していきました。

 

反動

そうした流れに抵抗する動きもあり、英単語に対応する新しい日本語の単語も作り出されていきました。

例えば、「文化」や「野球」や「郵便」など現在では当たり前のように使っている言葉はこの時代に造られました。

 

当時の紙幣には日本語の文字とともに英語表記が施されていました。

政府から一般の人々に至るまで英語に熱を上げていた時代だったのです。

江戸時代までは英語が全くなかったことの反動だったのかもしれませんが、その当時の日本人は英語が大好きでした。

 

ブームが去ったのちの時代は、一部の人々が英語を操ることができていて、太平洋戦争が始まって英語が一切禁止されるまでは一定の英語力を保っていました。

 

今の日本人にとって外国語といえばすぐに英語のことをイメージするでしょう。

現在では当たり前すぎて、日本人が初めて英語に触れたときがいつなのかは考えることはないかもしれませんね。

では日本人が英語と出会ったころについてご紹介しましょう。

 

400年前の出会い

初めて英語に出会ったのは西暦1600年のことでした。

ちょうどそれは天下分け目の関ケ原の戦いのおよそ半年前のことです。

4月19日、オランダの船が九州の豊後(現在の大分県)に漂着したことがきっかけでした。

 

船の名前はリーフデ号といい、そこに乗っていた航海長がウイリアム・アダムズというイギリス人です。

彼はその時の実力者である徳川家康に謁見することができました。

アダムズはその後 日本にとどまり三浦按針(あんじん)と名乗って、徳川家康の外交顧問として働くことになります。

初めてアダムズが家康に会った時、通訳をできる者はいませんでしたから、家康は身振り手振りでコミュニケーションをとろうとしたそうです。

記録に残っている限りでは、英語のネイティブスピーカーと会話をしようとした最初の日本人は徳川家康だったということになります。

 

空白時代 

このころはまだ英語を話せる必要性はあまりなかったので、日本人が英語を学習するということはなかったようです。

むしろ、アダムズの方が日本語を学習して、貿易のためにやってくるイギリス人たちのために通訳を行なうぐらいでした。

 

当時の世界は、イギリスよりもオランダの勢力が強かったので、イギリスとの外交関係は長くは続かなかったようです。

日本としても鎖国の時代に入り、オランダやポルトガル以外の国との関係は途絶えてしまいました。

イギリスはまだまだ世界の中でも小さな島国でしたし、アメリカ合衆国は影も形もありませんでした。

英語というものが日本にやってきた400年前の時代は今とは全く異なる世界だったのです。

 

つまり当時の日本人にとって優先すべき外国語はオランダ語やポルトガル語だったということです。

もし私たちが 400年前に生活していて外国語を学ぶとしたら、オランダ語やポルトガル語を選ぶのはごく自然のことだったに違いありません。

 

英語大好き

日常生活の中で英語を目にしない日はないでしょう。

あらゆる印刷物映像の中に英単語が登場します。

日本語は書いてあってもその隣に英語が添えられているような仕方で、またはすっかり日本人になじみがある英単語の場合はアルファベットのつづりのまま使われたりしていますね。

 

カタカナ言葉もいっぱい使われています。

例えばサイト、スマートフォン、シェア、ホテル、エンジニアなど挙げればきりがありません。

日本人の英語学習への思い入れも相当なものです。

数多くの英会話スクールがありますし、英語学習のための教材も頻繁に PR されています。

 

英語との出会い

日本人が初めて英語に出会ったのは西暦1600年のことで、オランダの船が漂着しその航海長(イギリス人)が徳川家康に謁見しました。

記録に残っている限りでは、徳川家康が英語ネイティブと会話しようとした最初の日本人だったようです。

 

鎖国が始まり、その後170年ほど日本人は英語と全く関係のない時代を過ごします。

江戸時代後期になって、イギリスの軍艦が関係する重大事件が長崎で起きたことによって、徳川幕府は英語の必要性を痛感し英語学習が本格的に始まりました。

 

当時は困難だった

当然ながら当時は英語を教えられる人も話せる人もいませんでした。

その命を受けたのは主にオランダ語の通訳である長崎通詞でした。

彼らは語学のプロ集団でしたし、幕府からの命令でしたから死に物狂いで英語を学んだそうです。

2年後には何と全10巻の英語辞書を完成させていました。

 

明治以降

江戸時代は終わって明治になると、日本は西洋文化をどんどん吸収するようになります。

そして英語の需要が急激に増えていきました。

明治初期は何でも間での英語でという第一次英語ブームが訪れます。

しかし明治後期には実用的な英語は下火になり、文学研究が中心になっていきました。

 

結局のところ、当時のほとんどの人は英語を話せるようになったわけではありませんでした。

本当に真剣に学んだ人たちだけが英語を修得することができました。

第二次世界大戦後、アメリカ軍が日本を占領していた時代はある程度英語の必要性が高まった時期もありました。

しかしその時代でさえも日本人みんなが英語を話せるようになったわけではありませんでした。

そしてその後はご存じのとおりです。