過去400年にわたって日本人は英語と向き合ってきました。

様々な学習方法が試されてきましたが、ほとんどの人は英語が上達したと言えるほどには身に付いていないでしょう。

 

日本人なのですから日本語を捨てる必要はありません。

しかしながら世界の経済やファッションの中心では英語が使われていのも事実です。

IT分野でも英語は不可欠でしょう。

 

2020年に東京オリンピックが開催される予定ですが、このイベントにかかわりのある人たちはまさに英語のスキルを磨いていく必要があります。

とはいっても日本人のほとんどにとっては、オリンピックがあるからと言って英語の必要性はあまり変わらないかもしれません。

 

子供に英語を

これから日本人は英語とどのように付き合っていけばよいでしょうか。

子供の時からなるべく英語漬けにさせようとする親の皆さんもいらっしゃいますが、津田梅子の例を考えて、その弊害も忘れないようにしましょう。

英語だけを話せる日本人になれば良いとは思っていないはずです。

それに日本に住んでいる限りはバイリンガルになることは決してできません。

ですから子供たちにはしっかりと日本語を身につけさせましょう。

そのうえで第2言語としての英語を身につけさせるということには大変意義があると思います。

 

大人の英語学習

大人の皆さんはどうでしょうか。

学校教育で学んだ英語は決して無駄ではありません。

そこからさらに英語力を伸ばしていきたいのであれば、英語の基礎を最初に復習して、しっかりと土台を据えると良いと思います。

つまり先人たちがやってきた方法は日本人の気質に合っているのです。

より多くの英語の書物を読み文法を学び、単語を覚えるようにしましょう。

この段階を省いたままでは、英語コミュニケーションするときにいい加減なものとなってしまいます。

英会話スクールやオンライン英会話サービスは有効です。

本当に英語力をつけていくためには、自分個人としてコツコツと学ぶべきものがあるという事を忘れないようにしましょう。

 

初期

明治時代初期は、英語に精通している日本人はごくわずかでしたから、ほとんどの場合外国人の教師を連れてきて、英語学校などで学ぶことが多かったでしょう。

当時の英語を学ぶ理由は、日本が近代化を果たしていくために必要な技術や知識を吸収することにありました。

殖産興業富国強兵と言われた時代の中で英語の重要性は高い状態にありました。

イギリスやアメリカが年々国力を強めていく中で、そこから得られる最新の技術やノウハウを英語通して学ぶことができたからです。

 

戦前まで

当時は話し言葉よりは、書き言葉の英語を学ぶ人が大半でした。

ですからとにかく英語の本を読み込むという読解に重点が置かれていました。

時代は下って行き、第二次世界大戦前までは、英文の読解力をつけるという仕方で英語を習っていました。

このころまではイギリス英語が主流でした。

 

戦時中の英語

そして第二次世界大戦および太平洋戦争がはじまると、英語は「敵性語」として日本では使用禁止となりました。

日本と同盟を結んでいたドイツはイギリスと戦っていましたし、そのイギリスと同盟を結んでいたアメリカに対して、日本は宣戦を布告したからです。

それまでずっと英語を学んで国力をつけてきた日本でしたが、皮肉なことにその英語を排除しようとしたのです。

ちなみに、太平洋戦争に突入したころに学校で英語を習っていた生徒たちは、英語の教科書のすべてのページに墨でバツ印を付けさせられたと言われています。

 

戦後から現在まで

終戦後はアメリカの進駐軍が来ましたから、かかわりをもつ人たちは英語をある程度使える必要がありました。

当時の日本人たちにとってアメリカ人が急速に身近な存在になったのは想像に難くないでしょう。

ですからイギリス英語からアメリカ英語に置き換わっていった時代でした。

その後も学校教育の中で英語を学ぶというスタイルが続けられていきました。

学校や大学以外に英会話スクールなどは存在せず、個人的に英語を教わるという程度の機会しかなかったでしょう。

初めて東京オリンピックが開催された 1964年のころ、外国人を迎えるために英語に対する需要が高まったので英語ブームが起きました。

そうした中で英会話塾または英会話スクールが誕生していきました。

 

英会話スクールの中には 40年以上の歴史を持つところがあるように、長年の間は日本で個人的に英語を学習しようとする場合、英会話スクールが親しまれてきました。

そして近年では英会話スクールに並んで、インターネット技術が進歩した結果、オンラインで英会話を学ぶことが簡単にできようになりました。

今では海を越えて生徒との講師が顔を見ながら会話することができます。

このネットを活用した英会話スクールは手軽で安く続けられると人気が高まっているようです。

どんな仕組みで学習するのでしょうか。下の解説ページなどに詳しく説明されていました。

オンライン英会話 ― どんな仕組みになっているの?

 

150年ほどの日本人の英語学習のスタイルについて見て来ました。

戦争のために中断した時期はありましたが、1世紀半もの間 英語と取り組むために涙ぐましい努力を重ねてきたことは素晴らしいと思います。

 

日本の教育制度では、多くの人にとって中学校・高校を合わせて6年間は英語を学ぶ機会があります。

文法や読み方、発音の仕方などかなり多くのことを学んでいますし、覚える単語数も十分ではないものの、そこそこあると言われています。

ではどうして日本人全体の英語力は成長しないのでしょうか。

 

その根本的な理由は日本語と英語が全く異なる体系の言語だからです。

言い換えると、はるかな距離があるということです。

発音文字体系と文法、そして機能という観点でその距離を考えてみましょう。

 

発音の距離

日本人にとって英語の発音は難しいとだれもが言います。

それも当然です。日本語と英語では発音の体系が全くかけ離れているからです。

日本語の母音は、「あいうえお」の 5種類で表現しますが、英語のそれは日本語の母音を組み合わせたような中間的な音を使います。

例えば、水のことを「ウォーター」ではなく「ワラ」に近い中間的な発音をする必要がありますよね。

 

文字体系と文法の距離

日本語のかな漢字に対して英語はアルファベットで表記します。

漢字文化圏の日本の場合、漢字一つで意味をもつ表意文字ですが、アルファベット文化圏の場合は表音文字ですから基本的に音をあらわすだけです。

文字は何とかなるとしても、語順が根本的に違うという文法構造の距離があります。

初期のころに英語を身につけた人がこれらの違いを説明するのにとても苦労したといわれています。

ジョン万次郎の場合は、漢文のように返り点を使って英文の意味を説明することを試みています。

 

機能の距離

少し説明が難しい内容ですが、英語と日本語とでは言葉を発することの役割が違うという面もあります。

英語母語とする人たちにとっては、「話さなければ伝わらない」という考え方をしますから、言葉はそのための道具という位置付けです。

日本語を母語とする人たちにとっては、もちろん伝えるという役割はありますが、逆に沈黙つまり敢えて言わないことによって相手に思いを伝えるという場合もあります。

地域によっては相手が言っていることを裏返して理解しなければならない場合さえあります。

 

このように日本語と英語はとても多くの面で異なる言語同士だということがわかります。

日本人が英語を学ぶためには、日本人に合った方法を考えて学習していく必要があると思います。

 

前の記事で取り上げた人たちは少し馴染みがないかもしれません。

続いて「その2」で取り上げるのは大体の人が聞いたことがある人物だと思います。

 

伊藤博文

初代の内閣総理大臣として有名な伊藤博文は、幕末に生まれ攘夷論が盛んな長州(現在の山口県)で生まれ育ちました。

20歳まで全く英語に触れることはありませんでしたが、幕末の大きな変化の中でイギリスに派遣されることになり、英語を学ぶ機会を得た人物です。

ロンドンにいられたのは半年間だけでしたから、英語を十分に話せるようになったわけではありません。

しかし彼がおかれていた状況を考えると英語を学ぶ理由ははっきりしていました。

西洋の学問を身につけたいという強い動機づけがあったので、帰国後も英語を学び続けました。

彼もまた大変な読書家で、英字新聞や英語の書物を取り寄せては読んでいたといいます。

そのように英語力を引き続き養っていたので、その後の政治家としてのさまざまな局面で、不完全ながらも身に付けた英語が役立ったそうです。

 

ジョン万次郎

漁師の息子として生まれ、14歳の時に漁のさなかに遭難してアメリカの捕鯨船に助けられてアメリカにわたった人物です。

その後10年間にわたって教育を受けましたから、彼の教養の基礎はすべて英語で受けたということになります。

彼の場合は、吸収力のある時期に英語漬けになっていたので、英語力を身につけることができたといえます。

幕末の日本ではさまざまな養成学校から招へいされ英語教師を勤めましたし、黒船来航の時にも幕府の役人として活躍することができました。

面白いことに、10代という吸収力が高い時期に日本語に接していなかったので、日本語の方がおぼつかなくなっていたという記録もあるそうです。

 

津田梅子

最後にもう一人、津田塾大学の設立者として有名な津田梅子です。

これまで主に書いてきたのは、英語にたくさん触れることによって英語力を身につけてきた人たちでした。

梅子の場合はちがった意味で英語にたくさん触れた人物です。

 

梅子は明治の初期にわずか6歳で、日本初の女子留学生の一人としてアメリカに渡った少女でした。

6歳というと日本語もまだまだはこれから覚えていかなければならない年ごろです。

つまり言語を身に着けていく大切な時期に英語漬けの生活を送ったということです。

10年以上にわたる留学生活だったので、6歳までに覚えていた日本語はすっかり忘れてしまい、英語が母語になってしまいました。

このことから、日本語をまだ十分に身に着けていない段階で英語だけの環境に置かれると、バイリンガルになるのではなく、話せる言語が置き換わってしまうことがわかります。

 

ここまで幾人かの英語の達人をご紹介しました。

単なるブームではなく本当の意味で英語の達人となった人たちです。

今の私たちも本当の英語力を身につけたいと思うなら、彼らのように徹底的に英語に触れる必要があることがわかります。

そして英語を身につけるはっきりとした理由が欠かせないということがわかりますね。

 

多くの日本人にとって、英語を身に付けるということは難しいと感じているでしょう。

その一方で、十分にコミュニケーションがとれる、または英文をすらすらと読みこなせるくらいの英語力を持っている人たちも少なくありません。

 

中学校と高校で 6年間英語を必修科目として学んできていますし、大学に入ればさらに何年か学ぶ機会があります。

そういう環境があってもそれだけで英語を操れるようになるわけではありません。

個人的にもっともっと学習する必要があるでしょう。

 

明治時代には、現代のエリートたちでも及ばないほどの英語力を持った達人たちが生きていました。

彼らはどのようにして英語を身に付けただけでなく、達人となることができたのでしょうか。

その1では、そのうちの二人をまずご紹介します。

 

新渡戸稲造(にとべいなぞう)

以前の五千円札の肖像にもなっていた新渡戸稲造は、国際連盟事務次長にもなった農学・法学の専門家です。

彼は札幌農学校(現在の北海道大学)で英語を学んでいました。

札幌農学校と言えば「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク先生が建てた学校です。

昼間の講義でとった英語のノートを夜に清書して先生に提出するという宿題があったそうです。

しかし何といっても彼は読む本の量が非常に多かったのが大きいでしょう。

農学校の図書館の本はほとんど英語だったと思われますが、その図書館の本をすべて読んだと言われています。

つまり毎日毎日英語の本を読んでいたということです。

 

斎藤秀三郎

明治~大正時代を代表する英語学者ですが、一度も海外に出たことはないという面白い経歴を持つ人です。

それでも彼はきちっと英語を理解していて、ネイティブスピーカーの間違った英語を指摘することができるほどでした。

また英語学校を設立した時には英語教師である外国人を面接するときに、自分でその英語力を試験したと伝えられています。

これほどまでの英語力を身につけたポイントは、たくさん英語を読んだことです。

彼の大学時代、大学の図書館にあった英語の本はすべて読み尽くすだけでなく、ブリタニカ百科事典(当然ながらすべて英語)の全35巻を 2回読み通す(参照するのではなく)ほどでした。

 

お気付きのように、彼らに共通しているのは出来るだけ多くの英文を読んだということです。

やはりお手本となる正しい英語にとにかく沢山触れることが大切なんですね。

 

日本人は英語が大好きな国民なんだと思います。

心の奥底では英語は苦手だと思いながらも、英語にあこがれて英語にカッコよさを感じています。

 

コンピューターやインターネットが生活の中で欠かせないものとなっていますが、これらはみなコンピュータープログラムによって作られています。

基本的にプログラムというものは英語をベースにして記述されています。

逆に言えば英語ですべて表現できるようにコンピューターの世界は作り上げられてきたといえるかもしれません。

 

一大ブーム到来

明治時代初期の日本人の英語ブームは現在の比ではありませんでした。

幕末の時代に黒船来航などで日本人は英語の重要性をはっきりと認識するようになりました。

そして明治になると日本は西洋化にまい進していきます。

最初に吸収したのはアメリカ文化、そして同じ英語のイギリス文化でした。

 

英語 英語 英語

この時代はとにかく何でも英語でした。

日本最初の英語ブームで、猫も杓子も 英語 英語 英語 でした。

英語まじりの都々逸がつくられたり、西洋式の学校制度が導入されたときには小学校で英語の授業を導入する動きもあったりしたほどです。

外国からの技術をどんどん導入するために、英語を話す外国人が次々と日本にやってくる時代でもありました。

この時代は様々な英語が流れのように国内に入ってきてはカタカナ語として定着していきました。

 

反動

そうした流れに抵抗する動きもあり、英単語に対応する新しい日本語の単語も作り出されていきました。

例えば、「文化」や「野球」や「郵便」など現在では当たり前のように使っている言葉はこの時代に造られました。

 

当時の紙幣には日本語の文字とともに英語表記が施されていました。

政府から一般の人々に至るまで英語に熱を上げていた時代だったのです。

江戸時代までは英語が全くなかったことの反動だったのかもしれませんが、その当時の日本人は英語が大好きでした。

 

ブームが去ったのちの時代は、一部の人々が英語を操ることができていて、太平洋戦争が始まって英語が一切禁止されるまでは一定の英語力を保っていました。

 

今の日本人にとって外国語といえばすぐに英語のことをイメージするでしょう。

現在では当たり前すぎて、日本人が初めて英語に触れたときがいつなのかは考えることはないかもしれませんね。

では日本人が英語と出会ったころについてご紹介しましょう。

 

400年前の出会い

初めて英語に出会ったのは西暦1600年のことでした。

ちょうどそれは天下分け目の関ケ原の戦いのおよそ半年前のことです。

4月19日、オランダの船が九州の豊後(現在の大分県)に漂着したことがきっかけでした。

 

船の名前はリーフデ号といい、そこに乗っていた航海長がウイリアム・アダムズというイギリス人です。

彼はその時の実力者である徳川家康に謁見することができました。

アダムズはその後 日本にとどまり三浦按針(あんじん)と名乗って、徳川家康の外交顧問として働くことになります。

初めてアダムズが家康に会った時、通訳をできる者はいませんでしたから、家康は身振り手振りでコミュニケーションをとろうとしたそうです。

記録に残っている限りでは、英語のネイティブスピーカーと会話をしようとした最初の日本人は徳川家康だったということになります。

 

空白時代 

このころはまだ英語を話せる必要性はあまりなかったので、日本人が英語を学習するということはなかったようです。

むしろ、アダムズの方が日本語を学習して、貿易のためにやってくるイギリス人たちのために通訳を行なうぐらいでした。

 

当時の世界は、イギリスよりもオランダの勢力が強かったので、イギリスとの外交関係は長くは続かなかったようです。

日本としても鎖国の時代に入り、オランダやポルトガル以外の国との関係は途絶えてしまいました。

イギリスはまだまだ世界の中でも小さな島国でしたし、アメリカ合衆国は影も形もありませんでした。

英語というものが日本にやってきた400年前の時代は今とは全く異なる世界だったのです。

 

つまり当時の日本人にとって優先すべき外国語はオランダ語やポルトガル語だったということです。

もし私たちが 400年前に生活していて外国語を学ぶとしたら、オランダ語やポルトガル語を選ぶのはごく自然のことだったに違いありません。

 

英語大好き

日常生活の中で英語を目にしない日はないでしょう。

あらゆる印刷物映像の中に英単語が登場します。

日本語は書いてあってもその隣に英語が添えられているような仕方で、またはすっかり日本人になじみがある英単語の場合はアルファベットのつづりのまま使われたりしていますね。

 

カタカナ言葉もいっぱい使われています。

例えばサイト、スマートフォン、シェア、ホテル、エンジニアなど挙げればきりがありません。

日本人の英語学習への思い入れも相当なものです。

数多くの英会話スクールがありますし、英語学習のための教材も頻繁に PR されています。

 

英語との出会い

日本人が初めて英語に出会ったのは西暦1600年のことで、オランダの船が漂着しその航海長(イギリス人)が徳川家康に謁見しました。

記録に残っている限りでは、徳川家康が英語ネイティブと会話しようとした最初の日本人だったようです。

 

鎖国が始まり、その後170年ほど日本人は英語と全く関係のない時代を過ごします。

江戸時代後期になって、イギリスの軍艦が関係する重大事件が長崎で起きたことによって、徳川幕府は英語の必要性を痛感し英語学習が本格的に始まりました。

 

当時は困難だった

当然ながら当時は英語を教えられる人も話せる人もいませんでした。

その命を受けたのは主にオランダ語の通訳である長崎通詞でした。

彼らは語学のプロ集団でしたし、幕府からの命令でしたから死に物狂いで英語を学んだそうです。

2年後には何と全10巻の英語辞書を完成させていました。

 

明治以降

江戸時代は終わって明治になると、日本は西洋文化をどんどん吸収するようになります。

そして英語の需要が急激に増えていきました。

明治初期は何でも間での英語でという第一次英語ブームが訪れます。

しかし明治後期には実用的な英語は下火になり、文学研究が中心になっていきました。

 

結局のところ、当時のほとんどの人は英語を話せるようになったわけではありませんでした。

本当に真剣に学んだ人たちだけが英語を修得することができました。

第二次世界大戦後、アメリカ軍が日本を占領していた時代はある程度英語の必要性が高まった時期もありました。

しかしその時代でさえも日本人みんなが英語を話せるようになったわけではありませんでした。

そしてその後はご存じのとおりです。